- Ishikawa-legi
主語がない
日本語には主語がないことが多い。
主語がないと、主体が不明で、責任が不問となる。
主語がないゆえに苦しんでいる日本人が、たくさんいるに違いない。
身近にもたくさんいる。
ある帰国子女は、自分が何を言われているのか、はっきりわからず、
その場にそぐわない言動ばかりしてしまう。
それでずっといじめにあっている。
この人は英語で会話してあげると、とたんに精神状態がよくなって、生き生きする。
別の人は、母子関係の話の中で
「だから心配している。」
というと、母が子を心配しているのか、子が母を心配しているのか、わからない。
話が誤解だらけになる。
いい人なのに、悪い人になってしまう。
世界的な社会の大きな変革期にあって、日本人はこのような日本語で乗り切れるのか、乗り切れないのか。吉と出るか、凶と出るか。
なんとか乗り切って、”主体的に”未来を築けるよう、考えていこうと思う。