- Ishikawa-legi
日航123便御巣鷹山墜落事件の生存者の方々へ

1985年8月12日日航123便御巣鷹山墜落事件では、4名の生存者がいた。
尾根に墜落した機体部分にいた人間は、生者も死者も証拠隠滅のために火炎放射器で真っ黒に焼かれた。しかし機体尾部は谷に滑り落ちたため見落とされ、火炎放射を免れ、ここで生存者が見つかった。

翌朝、地元の人たちが谷にいた生存者を発見したのはいいが、その後、生存者に対する様々な妨害工作が繰り広げられた。 ひどい話だ。
現場に到着した医師がヘリ要請をしたが、それをのらりくらりとかわした自衛隊上官がいる。彼には おそらく「口封じのため生存者はこのまま見殺しにしろ。時間稼ぎしろ」という命令が下っていたのだろう。 とっさに命令系統を無視し、直接ヘリ要請した饗場医師は本当にえらいと思う。

他にも、救助ヘリを邪魔しようと無数のヘリが上空を舞うなど、生存者がいては困るので殺そうとする巨大で邪悪な意図があったのはあきらかだ。
生存者は入院しても命を狙われ、口封じのための様々な脅しにあったろうことは想像に難くない。だから今に至るまで一切マスコミに出て来ない。
では、巨大勢力がそこまで躍起になって口封じしようとしたことは一体何だったのか。元日航社員の佐宗邦皇氏によると「プラザ合意」だという。欧米が日本の金を根こそぎ奪い取るための作戦の一つが、日航123便撃墜だったのだ。
1985年9月22日、日本は「金を差し出さないと、またジャンボ機を撃墜するぞ」と脅されて、渋々プラザ合意に調印した。
生存者の方々、お願いします。今こそ日本人全員のために、何があったのか証言してください。