- Ishikawa-legi
ボーダーレス・ムーブメント

さゆ・ふらっとまうんどという社会活動家が、「力強い能力や才能がある人が、みんなと集結して社会をよくしていくことができない社会にされちゃった」と言っていた。
チェコの英雄ヤン・フスもそうだが、古今東西を問わず正義感が強く頭がいい人は邪魔扱いされ、殺されてきた。近年ではこういうタイプの人を殺すと伝説化し、なおよけいに民衆を鼓舞することがわかってきたので、最初から村八分にして社会の枠には入れないような仕組みにしてある。
つまり、一人のリーダーが出てきてみんなを引っ張るような形の民衆運動は、ことごとく潰される。あるいはリーダーが買収されて、いつの間にか支配者側の都合のいいような方向に向かわされたり、利用されたりする。
欧米の人たちは数百年間ずっとひどい目にあわされてこれを学習したので、最近はリーダーを立てないリーダーレス・ムーブメントの形が盛んだ。アノニマスにしろ、フランスのイエローベスト運動にしろ、あえて”誰”ということを問わず、強いて言えば一人一人がリーダーだ、という感じで動いている。
よく「絆」とか、「みんな団結しよう」とか、「多くの人が集まれば変えられる」とか言っている人がいるが、今回はその戦法は通じない可能性が高い。一人ひとりの個人の自覚が問われる戦いなのだ。
逆に、既得権にしがみついて離すことができない人や考えることをしない人は、今回の戦いでは犠牲になるかもしれない。どんなに言っても聞こうとしない人はいるし、ある程度の犠牲者が出るのはもはや止むを得ないだろう。
というか、中国なんかを見ていると、決して全員を救おうとはしていないし、ある程度の数の犠牲者をあらかじめ見越している、むしろ一定数の犠牲者をあえて差し出しているようにも見える。厳しい場所を通る時は切り捨てることも必要なのだ。
これから日本民族は未曾有の危機に陥ることが予想されるが、全員助かることはなく、相当数の犠牲者が必須で、かといって全員滅亡することもなく、少数が生き延びて日本を続けていくことになるだろう。