- Ishikawa-legi
「本能のままに生きろ」
4月に社会人になったばかりのわが子が、「もうやめる」と言い出した。話を聞くとなるほど、色々理不尽なひどい職場だ。まともな神経ではやっていけないかもしれない。
あの子は毎朝6時に家を出て、夜10時に帰ってきて、土日も休みがなく出勤していくのをずっと見ていたから、「いつまで続くやら」と心配していた。
特に最近はノイローゼ気味で、「対向車のヘッドライトが『死ね、死ね』と言ってる」と言ったりしたので、自殺でもされたらどうしようかと内心気が気ではなかった。
私は「もう、やめまっし」と言った。問題は夫だ。すごい昔気質の堅物だからやめると聞いたら、「やめるとは何事だ!一度自分で決めたのだから全うしろ!」と激怒するにきまっている。わが子を追い詰めるだろう。
ところがどういう風の吹き回しか、夫は帰ってくるなり、「本能のままに生きろ」と言ったのだ。全然激怒しない。
「また変なこと言うね!」と私もつっこみたかったがグッと堪えた。これでわが子も逃げ道ができた。ちょっとしばらく休養することになった。少し休めばまた元気になるかもしれない。
この夫のセリフを聞いたもう一人の子が、なんだかとても感心していた。いわく「パパも成長したね。怒らないだけマシだよ。上出来!合格!」と言っていた。
私や夫の世代は、「がんばれ!がんばれ!」と根性論でやってきて、つぶれた。なんにも残らなかった。でもだからと言って努力しなければ得られるものは少ない。
問題は『努力の質』なのかもしれない。無駄なことに力を注いで消耗させる方向に社会が動いていったのは事実だ。本質的なことのみに短時間集中して、あとはのんびり過ごすという働き方のほうが、社会がもっとも発展する方法であるのは間違いないと思うのだ。