- Ishikawa-legi
リアル十字架

友人の息子さんは、中学に上がる時に中高一貫校のS学院を受験した。S学院はカトリック校だったから、試験会場のホールの上に十字架に磔になったキリスト像が掲げてあった。
息子さんは生まれて初めてそれを見て、その残酷さに恐怖に固まってしまったそうだ。「だってママ、手に釘が打ち込まれてるんだよ!」
そして試験の間中、怖くて怖くて気分が悪くなってしまったそうだ。そして「絶対にあの学校は無理!」と宣言したため、友人も宗教とは関係ない他の学校を探して受けさせたそうだ。
「まったく!信じられないでしょ?」と、あきれたように友人は笑った。でも
私はこの話を聞いて愕然とした。”十字架の上で血を流している死刑囚の像”にすっかり慣れっこになってなんとも思わないでいる自分に気づいたのだ。
私は幼稚園の頃からカトリック教育を受けた。4歳か5歳の頃に幼稚園の先生が、「イエス様は手のひらに釘を打ち込まれて、十字架に磔にされました。」と話していたのを覚えている。
この話は繰り返し、繰り返し聞かされたし、幼稚園のあちこちに十字架が飾ってあったし、小学校もカトリックだったので十字架はたくさん飾ってあったし、話も何回も聞かされた。だから私にとっては日常の風景だった。
しかし改めて考えると、こんな残酷なものを平気でなんとも思わないのはひょっとしてかなり変なのだ。友人の息子さんの反応のほうが正常だ。つまりすっかり私は残虐で悪魔的なものにまんまと慣らされてしまっていたのだ。今まで気づかなかった自分というものが本当にショックだ。
イルミナティたちがどうやって数千年もの間、悪魔主義を代々維持できたかというと、子供が小さい頃にまず虫やハムスターを殺させる、ちょっと大きくなったら猫を殺させる、そして最後に人間を殺させて、平気で殺人を犯せるような人間に育てる、と聞いたことがある。
ここまでひどくなくても、徐々に日本人を悪魔化するためにバチカンはカトリック教育ー特に幼児教育ーを大々的に行ったのは間違いない。そして私はそれにまんまとはまってしまったのも間違いない。
でもここからどうやって挽回するかが大事だと思うし、毎日を粛々と丁寧に暮らしていくことで日本人の高潔さを取り戻すことができると信じている。